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[電子書籍]超訳 イエスの言葉

[電子書籍]超訳 イエスの言葉

電子書籍
価格: 1,360円(税込)
フォーマット
紙の書籍
電子書籍
紙+電子書籍セット
価格
1,836円
1,360円
2,516円
個数:
  • メーカーディスカヴァー
  • 発売日2017.7.12
  • ISBN978-4-7993-2129-4

商品概要

「敵をなくす一番の方法は、敵を愛することだ」ミリオンセラー『超訳 ニーチェの言葉』の編訳者・白取春彦が、聖書を読むだけではわからないイエスの言葉を、現代によみがえらせる!

商品説明

2000年前、ローマ帝国支配下のパレスチナ地方に現れて、圧政と宗教の束縛、貧困に苦しむ人々に愛と赦しを説いた一人の男、イエス。彼は実際に何を語ったのか?

「敵をなくす一番の方法は、敵を愛することだ」
「今日は今日で精一杯のことをしたのだから、それでいいじゃないか。自分の一日の働きに満足しよう」
「きみが愛するべきなのは、きみが好きな人だけじゃない。関わってくるすべての人だ」
「食っていければ、それでいいのか? きみが生きるために必要なものは何だ?」

目次

1 心を安らかにする

1 明日のことは心配するな
2 今なすべきことに専念せよ
3 愛に充ちて過ごせばよく眠れる
4 苦しみには価値がある
5 卑下するな
6 恐れるな
7 返礼ができない人を宴会に招けば、そこは天国のようになる
8 神の国はきみたちの心の中に建てられる
9 きみがいるだけで誰もが和むような人になりなさい
10 悔やみ悲しんでいる人を私は愛する
11 隠し事をやめれば、人が恐くなくなる
12 自分の中の悪い情念を無視せよ
13 お金や物で本当に豊かになれるのか
14 お金の誘惑に負けるな
15 求めない人は幸せだ
16 開かれた心を持て
17 欲しいものをあきらめるな
18 罪の記憶が人を罪の奴隷にする
19 きみたちに他人を罰する資格はあるのか
20 善行をしてもすぐに忘れよ
21 悪いことをした時点で、すでに審判を受けている
22 富裕な者はかわいそうだ
23 心の裕福さを知らない人はみじめな貧窮の底にある
24 体だけでなく心も洗え
25 いやだと思っているなら脱け出せ
26 欲というライオンに喰われるな
27 誰でも正義や真理とは何かを考える必要がある
28 魂の底まで変わるのが本当の洗礼だ
29 幼児のように素直に受け入れる
30 鈍感なエゴイストにはなるな
31 自分についてのくだらない思いこみから抜け出せ
32 心の闇は自分自身には隠せない
33 平安は外から来るのではない
34 ものごとに執着するな
35 幻は知性によって見る

2 するべきことをする

36 行動せよ
37 善行とは、誰にとっても嬉しいことをすることだ
38 ノウハウで幸福にはなれない
39 頭から足先まで正直になれ
40 言葉はその人間をはっきりと示す
41 悪は悪を呼ぶ
42 女を道具として見るな
43 他人の欠点は大きく見える
44 返ってくるとは考えずにお金を貸しなさい。貸したことも忘れてしまいなさい
45 善と悪を逆にするのは決して赦されない
46 誓ってはならない
47 お金のためには善悪を考えないという人々は荒れ地のようだ
48 よい土地であれ
49 愛のない人は死んでも惜しまれない
50 罪は存在しない。罪人が存在するだけだ
51 富を独占するな
52 新しい水は新しい容器に入れよ
53 一人よりも二人で願え
54 私は真理を行なってみせるだけだ
55 本当に必要なことを、今すぐにせよ
56 準備が安心を生む
57 本当に正しいことをすれば苦しみに遭う
58 一心でなければ闇の中にいることになる
59 誰にも知られないように善行をせよ
60 偽善者とは
61 偽善に満ちた生き方をしていないか
62 祈りはつつましく
63 罰がなければ悪いことをするつもりか
64 秘密はいつか露見する
65 たとえ認められなくても
66 この世を愛してはならない

3 出会う人を大切にする

67 今すぐ仲直りをしなさい
68 きみが愛するべきなのは、きみが好きな人だけじゃない
69 行動がなければ愛とはいえない
70 疲れた旅人に一杯の冷たい水を差し出す人のように
☆ イエスのたとえ話「善きサマリア人」
71 人の過失を赦せ
72 ひたすら人を赦せ
73 たくさん赦せ
74 他人を決めつけるな
75 人にレッテルを貼るな
76 人を試してはいけない
77 敵を愛せ
78 敵をなくすには
79 敵と和睦すれば絶対に負けない
80 善悪についての考えが同じ者どうしが絆で結ばれる
81 心配するのではなく愛してほしい
82 私は故郷では受け入れられない
83 リーダーこそ奴隷であれ
84 約束は絶対に守れ

4 善く生きる

85 パンがありさえすれば、生きていけるのか
86 生きるということは、他者と関わることだ
87 その程度の人生でいいのか
88 滅びの道は広い
89 狭い道を行け
90 自分を最も生かす一本の道を行け
91 素直にまっすぐに生きてみよ
92 鳩のような素直さと蛇のような知恵を身につけよ
93 愛を見出すことが救いになる
94 私はあなたの心の内にいる
95 胸の内に天国が広がらないのは、自分が他人よりもましだと思っているからだ
96 人は働いただけの報酬を得る権利がある
☆ イエスのたとえ話「葡萄園の労働者」
97 教師を信じてはいけない
98 学ぶだけでなく実行せよ
99 世の終わりは世の始まり
100 今の自分を棄てて新しく生きなおせ
101 自分を棄てれば自由になれる
102 きみがきみ自身であることが大切だ
103 貧しい者とは自分自身を知らない者のことだ
104 命を与えるとは、きみが自分自身を取り戻すことだ
105 新しい人となって生き返ろうとは思わないのか
106 自分を自分自身に返せ
107 私が復活するのはきみの中だ
108 悔い改めるとは、本当に生き方を変えることだ
109 本来の自分でいることが天国なのだ
110 神の国はあなたの中にある
111 あなたの心が愛に染まれば、そこが天国だ
112 天国は地上にある
113 この世に慣れてしまった者は天国に入りにくい
114 私の言葉という種はきみたちという土地に落ちて芽を出し、実を結ぶ
115 実りのある人間であれ
116 聞く耳を持たない人には何を言っても無駄だ
117 嫌われる人はこの世の塩だ

5 愛する

118 幸せとは、人を愛すること
119 愛を求める人はいつか愛される
120 新しい世界はすでに来ている
121 あなたの敵をも愛せ
122 最も重要な掟は愛することだ
123 私が与える新しい掟は「愛し合え」だ
124 欲望を動機にしてもうまくいかない
125 愛のある行ないをするだけなのに
126 人を本当に愛する心の中に神は住んでいる
127 愛によって新しい知性が育つ
128 私は愛に渇いている
129 神とは愛のことだ
130 掬いは救いだ
131 悲しんでいる人はやがて癒される
132 愛は所有の考えを消滅させる
133 愛の力
134 世間体も損得もなく愛だけで行なえ
135 乳飲み子は神の王国にいる
136 すべてを愛することによって自分自身を救え
137 全身に愛を充たせば、生まれ変わったのと同じだ
138 生命の水を飲め
139 私の行動そのものが愛だ
140 愛のある生き方をするようになることが神の御業だ
141 大切な言葉と行ないは永遠に生き続ける
142 悪の根源にあるのは愛を知らないことだ
143 私の言葉はいつまでもとどまる
144 迷える子羊を見つける嬉しさ
145 汚れていない自分を探す
☆ イエスのたとえ話「放蕩息子の帰還」
146 宗教的な形式ではなく、愛が大切なのだ
147 幼児が最も偉大な者だ
148 愛があれば言葉は出てくる
149 愛は愛で理解する
150 私ではなく愛が話している
151 この世は愛を軽んじている
152 世間の事柄に心を奪われていると、愛はわからない
153 かたくなな心が砕ければ、愛がわかる
154 愛を雨のように降らせよ

6 世間の価値観を疑う

155 世間にあるものいっさいは死体だ
156 世間の価値を信じるな
157 私は平和をもたらしに来たのではない
158 この世の虚偽や強欲、暴力を焼き尽くす
159 世間の目ばかり気にしているから大切な言葉が耳に入らない
160 私が嫌うのは、神を利用して権威を得る者たちだ
161 「世間教」という邪教
162 説教する人間を信用するな
163 世間の価値観に従っているうちは世間の苦しみから逃れられない
164 私のように自由に生きてみないか
165 私と同じ生き方をしてみよ
166 目の見えない人が生み出すもの
167 世間の常識に従っている限り、愛は得られない
168 惰性の付き合いや金銭欲が真実の愛を見えなくしている
169 因習よりも今ここに生きているあなたの生き方が大切だ
170 世間に自分を合わせようとするな
171 世間的なものをいっさい棄てよ
172 この世の価値観とは違う真実を見せてあげよう
173 私はこの世の価値や習慣を壊す
174 子供の状態に立ち返れ
175 何が正しいのか、自分で考えてみよ
176 法に触れなくても悪は悪だ
177 法律は人を生きやすくするためにある
178 法に頼るな
179 人を裁いて自由や命を奪うのは正しいことなのか
180 復讐を裁きと言い換えているだけだ
181 どれだけ人を殺せば気がすむのか
182 金と力から天国は生まれない
183 人を愛さない宗教に意味があるのか
184 永遠なものを受け取れ

著者からのメッセージ

本書は、信仰の本ではない。キリスト教の本でもない。聖書を数十年かけて読んでいる人ならば、そのことがすぐにわかるだろう。ただ、イエスという一人の男が口にした言葉を書いてある。もちろん、その言葉の一部はキリスト教が聖典と認める新約聖書に記されている。

ただし、本書にあるイエスの言葉は新約聖書につづられたままではない。つまり、いわゆる「超訳」されている。しかも、私自身による解釈をメインにしたという意味での超訳なのだ。その意味で、本書は私を通して語られたイエスの言葉でもある。だから、私自身の聖書解釈が濃く滲んでいることをまずことわっておく。また、イエスが現代の若者に対してならばどう語るだろうかというふうに編訳してもいる。


■ イエスの言葉を暗喩として理解する

さて、キリスト教においては、イエスは「神の子」とされている。彼が「神の子」であるからこそ、処女マリアから産まれ、数々の奇蹟を起こし、誤解されて罪人扱いされ、十字架刑に処され、葬られても遺体が見つからず、天に昇り、復活を約束するのである。これらのことを事実、あるいは動かしがたい真実として信じることを約束したのがキリスト教徒である。個々人の信仰の内容はともかく、ヨーロッパに生まれたキリスト教の神学では神を客観的実在としている。その神の子がイエス・キリストとされる。

私はその神学を鵜呑みにしない。なぜならば、聖書に記されているさまざまな奇妙な話や奇蹟といい、イエスという男の言葉といい、どうしても暗喩や隠喩とみなすことによってでしか意味がまともにとれないからである。つまり、実際に起きた事柄そのものを描写したり語ったりしているのではなく、それと類比される別の事柄、つまり人間心理や生き方を指し示す表現がなされている場合がほとんどだと考えるのである。
 
一方、暗喩や直喩ではなく、聖書に記された事柄のすべてが歴史的事実そのものだというのならば、聖書はたちまちにしてわけのわからないヴェールに厚く覆われてしまうだろう。あるいは、矛盾に満ち、思想の整合性など微塵もないカオスになってしまう。そういうふうに聖書をとらえて嘲笑した書物も現在はある。ケン・スミス『誰も教えてくれない聖書の読み方』や架神恭介『「バカダークファンタジー」としての聖書入門』などだ。これらの著者に聖書が記された当時の習慣知識やユダヤ教徒の文化知識がなかったことから読み誤っている箇所を差し引いたとしても、現代人が何の予備知識もなくして聖書を読めば聖書は騒擾と狂乱に満ちたものに映るだろう。しかし、一般的に書物とはそういうものだ。読者は自分が現在のところ持ちあわせている知識と理解能力の範囲でしか本を読解できないのである。素直に意味がとりにくい表現があったとしても、だいたいこんなものだろうと勝手に類推してすませるのである。だから、読みとり方や感想が各自で異なってしまうことになる。

しかしながら、「聖書は神が書いた本だから人間の理解がおよばないのも当然であり、その理解を手助けするのが神学や教会だ」という主張もあろう。しかし、そうならば、キリスト教は一種の密教になってしまう。また同時に、聖書という本を個々人が読むことに意味と価値がなくなってしまうし、本として聖書があることに意義すらなくなってしまうだろう。しかし、聖書が重要なものを含んだ本ならば、神学や教会という仲介者なくして、私たちに教えているものがあるはずだ。そして、それはこの世に生きるうえで重要な事柄であるはずなのだ。であるならば、私たち個々人が聖書を読み、そこから汲むことができるものが秘められているだろう。そうして私が聖書を読み、そこから汲みとったものを含めてイエスの言葉としたのが本書である。だから、新約聖書に記載されているイエスの言葉と本書でのイエスの言葉を読み比べていただければ、私が何をどう汲みとったかが明瞭にわかるだろう。


■ 正典だけでなく外典にもイエスの言葉を求める

本書が参考にしている原典は一般的な新約聖書だけではない。外典(読み方はゲテンでもガイテンでもかまわない)と呼ばれているものも含んでいる。外典とは、新約聖書に含まれた27の正典文書からは除外された文書のことだ。これはアポクリファ(「隠されたもの」という意味)とも呼ばれ、キリスト教会は外典を「異端宗教の虚構」とか、「けがれなき者をあざむく文書」と見ている。キリスト教会が認める正典は次の四つの要素を満たしている必要がある。イエスの弟子であった使徒が書いたもの、あるいは使徒に由来し、教えが使徒的である。地域を問わず広く教会で受け入れられている。これまで典礼で使われてきている。キリスト教神学と整合性を保っている。つまり、キリスト教の伝統に沿っているかということと内容が神学と合致しているかどうかで正典か外典かが決められている。これはもちろん、キリスト教体制こそ聖書の文書の真偽を見きわめる権威を持っているという態度から来ている。

私はそのように決めつけるのはおかしいと思っている。ブランド物の真贋はともかく、そもそもこの世で起きている物事の真偽などありえるはずもなく、ただ個人の生き方のみが物事を価値づけると考える。別の言い方をすれば、キリスト教徒だから正しいはずだ、あるいは正しくあるべきだというふうには考えない。評価のモノサシがどこかにあるはずだとも考えない。この地に生きる誰にしてもその人の生き方こそ価値を決めるものであり、外から客観的に評価づけられるべきことではないと思うのである。このように考える私は、正典とはされなかった文書の中にもイエスの真意を表した言葉が残っていると感じる。イエスその人の口から出た言葉でなくても、イエスの真意がいくぶんかでもそこに含まれていると思うのだ。そういう部分を外典から拾って、本書なりに超訳して表現しようと考えているのである。
(「はじめに」から抜粋)