商品詳細

[紙+電子セット]超訳 論語

The Analects of Confucius

[紙+電子セット]超訳 論語

紙+電子
価格: 2,516円(税込)
フォーマット
紙の書籍
電子書籍
紙+電子書籍セット
価格
1,836円
1,360円
2,516円
    個数:
  • 発売日2012.12.13
  • ISBN978-4-7993-1261-2
  • ページ数288P

商品概要

今、この時代に読み直したいまったく新しい「論語」。本書は、著者が従来の「読み」にとらわれず、あらためて「論語」と向き合うことで生まれた異色の超訳です。

商品説明

今この時代に読み直したいまったく新しい「論語」
「論語」は、古臭い保守的な書物ではなく、衝撃的で前衛的な革命の書だ。


二千数百年にわたり、東アジア全体で読み継がれてきた最大の古典が「論語」だ。現在の日本でも多くの人たちが「論語」を愛読しており、現代語訳や注釈の書も数多く出版されている。

そのなかで本書は、著者が従来の「読み」にとらわれず、あらためて「論語」と向き合うことで生まれた異色の超訳である。

読者はこれまでの「論語」のイメージを一新する言葉の数々に驚くに違いない。そして心を揺さぶられ、行動を変えずにはいられないだろう。


「他人が自分をわかってくれない」なんてどうでもいいことだ。
「自分で自分をわかろうとしない」ことが問題なのだ。

何かを学ぶことは、危険な行為だ。
なぜならそれは、自分の感覚を売り渡すことになるから。

「知っている」よりは「好む」ほうが上だ。
「好む」よりは「楽しむ」ほうが上だ。

目次



一 学ぶことは危険な行為だ [学而篇より]
〇〇一 学ぶことは危険な行為だ
〇〇二 学習の悦びほど大切なものはない
〇〇三 学習の悦びを知らない人に心を乱されるな
〇〇四 父兄の愛は父兄への愛につながる
〇〇五 父兄に対して思いを素直に伝えられる人は
〇〇六 目上の人に自分の考えを素直に、失礼にならないように述べる
〇〇七 自分の存在の根本にあるもの
〇〇八 仁ではありえない人間とは
〇〇九 毎日、三つのことを反省する
〇一〇 自分のことを重々しく見せかけない
〇一一 ありのままの自分自身でいるために
〇一二 礼は形式ではない
〇一三 すべてを礼によっておこなう
〇一四 調和について考えよ
〇一五 「信」と「義」
〇一六 「恭」と「礼」
〇一七 率直な人を頼りにせよ
〇一八 自分を知れ

二 「知る」とはどういうことか [為政篇より]
〇一九 コミュニケーションを統御する
〇二〇 徳によっておこなう
〇二一 民衆を導くのに暴力や権力を使うとどうなるか
〇二二 民衆を導くのに徳と礼を使うとどうなるか
〇二三 十五歳で学ぶことに志した
〇二四 三十歳になって
〇二五 四十歳になって
〇二六 五十歳になって
〇二七 六十歳になって
〇二八 七十歳になって
〇二九 「孝」は表情がむずかしい
〇三〇 自分の思い込みを打破せよ
〇三一 自分を新しくしていく
〇三二 自分を人と比べない
〇三三 学ぶことと考えること
〇三四 異質な考えを排除するな
〇三五 「知る」とはどういうことか
〇三六 「知っている」と「知らない」の区別をつける
〇三七 人を服従させるには
〇三八 やるべきだと感じることをしないのは

三 「仁」であるとは美しいことだ [八佾篇、里仁篇より]
〇三九 「仁」でなければ礼儀作法も無駄になる
〇四〇 「仁」でなければ音楽も騒音となる
〇四一 礼を学ぶことこそが礼
〇四二 「礼」と「忠」
〇四三 礼ばかりでは「へつらい」になる
〇四四 素晴らしい歌の条件
〇四五 大切なのはみずから改めること
〇四六 世に真理を知らせる人
〇四七 仁であることは美しいことだ
〇四八 仁でないと楽しくない 
〇四九 「仁」と「知」
〇五〇 仁でないと人の好悪が分からない
〇五一 仁を本当に志しているなら悪ではあり得ない
〇五二 うまくいくことの危険性
〇五三 君子は常に仁でいられる
〇五四 私は見たことがない
〇五五 過ちはその人のタイプを反映している
〇五六 進むべき道を聞いたなら
〇五七 君子は傍観者ではない
〇五八 利益ばかり考えるな
〇五九 最も大切なひとつのこと
〇六〇 君子は「義」、小人は「利」
〇六一 賢者を見るとき
〇六二 軽々しく言葉にするな
〇六三 信頼関係を大切にする
〇六四 口は重く、腰は軽く
〇六五 徳のある者は孤立しない
〇六六 口うるさくすることの害

四 楽しもう [公冶長篇、雍也篇より]
〇六七 きみは神聖なる器だ
〇六八 弁が立つ必要はない
〇六九 他人がどう感じるかを考えるのは危険だ
〇七〇 語りえないものについては語らない
〇七一 君子の四つの道
〇七二 考えすぎるのもよくない
〇七三 愚者になるのはむずかしい
〇七四 うわべを取り繕うな
〇七五 私が恥とすること
〇七六 志はどこにあるか
〇七七 私くらいよく学ぶ者はいない
〇七八 よく学ぶ者とは
〇七九 運命を嘆く
〇八〇 自分で自分の限界をつくるな
〇八一 自慢をしないことの価値
〇八二 この道を通る者がいない
〇八三 身体感覚と知性
〇八四 生きているのは幸運なだけ
〇八五 楽しもう
〇八六 「知」と「仁」
〇八七 言葉をないがしろにするな
〇八八 「仁」と「聖」
〇八九 人間関係の法則

五 任務は重く、道は遠い [述而篇、泰伯篇より]
〇九〇 私の心配事
〇九一 夢に周公を見ない
〇九二 道を突き進む
〇九三 音楽の素晴らしさ
〇九四 富や地位を得ることのはかなさ
〇九五 孔子とはどんな人か
〇九六 私は意味を探求する者だ
〇九七 ふたたび、語りえないものについては語らない
〇九八 自分を導く者を見つける
〇九九 私は隠し事などしない
一〇〇 孔子が教えたこと
一〇一 自分を見失わない
一〇二 「知る」ことと「お勉強」の差
一〇三 仁でありたいと思ったらすでに仁だ
一〇四 祈るとは
一〇五 君子と小人の違い
一〇六 「礼」でなければうまくいかない
一〇七 君子の人間関係が人民に影響する
一〇八 親から受けた身体を大切にする
一〇九 こういう人になりたい
一一〇 任務は重く、道は遠い
一一一 何もかも台無しにする性格
一一二 貧しさが恥となる時、豊かさが恥となる時
一一三 関係ないことに首を突っ込むな
一一四 どうしようもない人
一一五 名君のあり方
一一六 人材を得るのはむずかしい

六 志は奪えない [子罕篇、郷党篇、先進篇、顔淵篇より]
一一七 利について話すときは
一一八 手放すべき四つのこと
一一九 いろいろなことができる理由
一二〇 自分の行為は自分の責任
一二一 若い人々は期待できる
一二二 四十歳・五十歳になっても……
一二三 神聖な言葉を喜ぶだけでは
一二四 志は奪えない
一二五 よからぬことがなければ成長しない
一二六 危機にこそ人間の真価がわかる
一二七 勇者と知者と仁者の違い
一二八 ともにできる人
一二九 これは本気の恋じゃない
一三〇 厩が火事になったとき
一三一 天は私をほろぼした
一三二 孔子が慟哭したとき
一三三 死のことはわからない
一三四 過ぎたるはなお及ばざるがごとし
一三五 立派な志でなくてもいい
一三六 仁とは何か1
一三七 仁とは何か2
一三八 君子は憂いがなく、恐れがない
一三九 世界はみな兄弟
一四〇 人民の信頼がなくては政治はできない
一四一 人民が豊かなら君主も豊か
一四二 徳と惑い
一四三 君子は人を成長させる
一四四 君子は風、小人は草
一四五 友に対してすべきこと

七 正直者とは [子路篇より]
一四六 才能ある人を見出す方法
一四七 政治は名を正すことから始まる 1
一四八 政治は名を正すことから始まる 2
一四九 政治は名を正すことから始まる 3
一五〇 政治は名を正すことから始まる 4
一五一 政治は名を正すことから始まる 5
一五二 知識が多いだけでは意味がない
一五三 身を正しくする
一五四 善人が百年治めたなら
一五五 仁が実現されるのには時間がかかる
一五六 国を盛んにする言葉
一五七 国を滅ぼす言葉
一五八 近くのものは喜び、遠くのものは慕う
一五九 急がない、小さな利益を追わない
一六〇 正直者とは
一六一 中庸を心がける
一六二 調和と同調の違い
一六三 誰から好かれ、誰から嫌われるか
一六四 君子への仕え方、小人への仕え方
一六五 君子は威張らない
一六六 仁に近い人
一六七 「士」とはどのような人か
一六八 真実を教えよ

八 他人を批判する暇はない [憲問篇より]
一六九 仁が何かなど知らない
一七〇 言葉を柔らかくする
一七一 仁者は勇者だが、勇者が仁者とは限らない
一七二 小人に仁はない
一七三 貧乏をうらまないのはむずかしい
一七四 言うべきことを言え
一七五 君子と小人の方向の違い
一七六 自分自身のために学べ
一七七 言葉の歪みが行ないの過ちにつながる
一七八 君子の三つの道
一七九 他人を批判する暇はない
一八〇 賢いとはどういうことか
一八一 こだわるのが嫌い
一八二 能力ではなく徳が誉められる
一八三 怨みに対しては正直さで報いる
一八四 不可能と知りながら目指す人
一八五 自分のあり方を問うて改める

九 考えない者には教えられない [衛霊公篇より]
一八六 小人は困窮すると取り乱す
一八七 一つのことで貫く
一八八 何もしないで世を治める
一八九 話し合うべきときに話し合う
一九〇 命を捨てて仁を成す
一九一 「自分には関係ないから」は不幸を招く
一九二 考えない者には教えられない
一九三 知識をひけらかすだけの話し合いはダメだ
一九四 君子が気にすること 1
一九五 君子が気にすること 2
一九六 君子は徒党を組まない
一九七 自分がやりたくないことを人にやらせるな
一九八 ごまかして切り抜けてもうまくいかない
一九九 過ちを改めないのが過ち
二〇〇 考えるだけでなく学べ
二〇一 君子は認識の枠組を刷新できる
二〇二 先生の教えに遠慮するな
二〇三 教えられる者の素質は関係ない
二〇四 相手に思いが達するように
二〇五 盲目の楽師のお相手をするときの作法

十 有益な友だち、有害な友だち [季氏篇、陽貨篇、微子篇、子張篇、堯曰篇より]
二〇六 有益な友だち、有害な友だち
二〇七 有益な楽しみ、有害な楽しみ
二〇八 敬意を払うべき三つのこと
二〇九 九つの大切なこと
二一〇 生まれてから身につけることの大切さ
二一一 学ばなければいけない
二一二 詩を学べ
二一三 目的と手段を取り違えるな
二一四 善人とされるような人こそ
二一五 おかしな人も古に比べてダメになった
二一六 何も言わなくていい
二一七 三年の喪に服する理由
二一八 君子が憎むもの
二一九 女性と小人との関係
二二〇 孔子と隠者
二二一 小人は過ちをとりつくろう
二二二 まず信用されてから始める
二二三 過ちを犯してもごまかさない
二二四 孔子は誰に学んだのか
二二五 こんなことがわからないようでは

原文

著者からのメッセージ

たとえば私が「言葉は儚い。」と言ったのは、一体、どういう意味で言ったのか。その正確な意味を読み取ることは、誰にもできない。その言葉を吐いてしまった後の私自身にさえ、吐いた瞬間に何を考えていたのかは、もうわからない。正確な意味を汲み取る、というのは、人間にはできない相談である。

それゆえ、孔子が言った言葉の本当の意味を客観的に措定することなど、決してできない。それでも客観的方法には大きな意味がある。そのひとつは、ある言葉が意味していないことを明らかにできる、ということである。

たとえば現在では、「忠」という言葉は「主君や国家にひたすら尽くすこと」という意味で受け取られている。しかし「ひたすら尽くす」というような意味は、後代に生じたものであって、孔子・孟子の時代には、そのようには用いられていなかった。この歴史的事実を知らなければ、孔子の「忠」という言葉を正しく受け止めることはそもそもできない。

もうひとつは、その言葉が元来意味した内容を明らかにできることである。たとえば「恕」という字が、「如」と「心」とから成っており、その「如」が「巫女+祭器」という象形文字の組み合わせであって、巫女が神託を受けようとしている姿だ、という白川静(一九一〇~二〇〇六年:漢文学者)の学説を知れば、その解釈の方向をより合理的に求めることができる。これが客観的方法の重要な意義である。

客観的方法では達成できない意味そのものの把握は、主観的方法によらざるをえない。それは真実の込められた言葉を、一人の人間として身体で受け止め、それが完全に納得できるまでしっかりと抱く、という方法である。そうしてその言葉が、私自身の身体に響くのを待つのである。

実のところ、言葉の意味を知るには、それ以外の方法はない。もちろん、それには、多くの客観的知識の助けを必要とするが、それでも、聞くことなしには、響きは聞こえない。

本書は、私自身が、この世界を生きるためのよすがを求めて、論語の言葉の響きを聞き取った、その報告である。

論語という、二千数百年という時間を越えてこの私に届いた奇跡の言葉には、人々の心を響かせてきた、何かがあるはずだ。私はその何かを聞こうとして、多くの知識を蓄えつつ、耳を澄ませてきた。その響きを本書ではお伝えしたいと思う。もちろん本書は、徹底して客観的たらんとしつつ、同時に、徹頭徹尾、主観的な書物である。それゆえ、ここに書かれていることを、決して鵜呑みにしないで頂きたい。一つ一つの言葉が、役に立てば役に立て、役に立たなければ、捨てて欲しい。

そして、論語について何かを誰かに言いたい、と考えたなら、必ず原文に当たり、本当に私が聞き取った響きが聞こえるかどうか、読者自ら確認してほしい。もし違った響きが聞こえたら、それがあなたにとっての論語なのであり、その響きを大切にして欲しい。本書はそのための手がかりに過ぎないのである。
(「序」より)